天皇制には昭和とか平成とかいった「元号」があることは誰でも知っているが、「皇紀」が存在していることを知る人は多くない。今年(1997年)は皇紀2657年である。皇紀は紀元前660年から始まっているのであるが、これはちょうど北イスラエル王国が滅ぼされた直後の時期に当たっており、まだアッシリア帝国の治世下でイスラエル10支族が捕囚されている時期に相当している。よってこの時期、アッシリアに捕囚されていた北朝の残党たちが、新しい王朝を再結成したのではないかと推測する者もいる。

 また、天皇の公式名「スメラ・ミコト」は古代ヘブライ語アラム方言で「サマリアの大王」を意味し、初代神武天皇の正式名「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」は「サマリアの大王・神のヘブライ民族の高尚な創設者」という意味になっているという。「サマリア」とは北イスラエル王国の首都である。

 更に、天皇の古称「ミカド(帝)」はヘブライ語に訳すと「ガド族出身の者」という意味に当たり、ガド族の始祖ガドの長男の名前は「ニェポン(ニッポン/英語ではジェッポン)」であったという。