アメリカで働く実力社会を生きる日本人女性

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今週のAERA
アメリカで働く
実力社会を生きる日本人女性

99年11月29日号
関戸衛編集長おすすめの記事
|バックナンバー|

プロフェッショナルとして存分に力を発揮しようと、米国企業で働くことを選ぶ日本
人女性が増えている。日本でなく、米国でキャリアアップを目指す彼女らに、想像を
絶する競争社会に身を置いての実感を聞いた。
編集部 浜田敬子 Hamada Keiko

「将来のプロフェッショナルなオポチュニティーについて、君と話がしたい」

 いつものように出社すると、会社のパソコンに、スティーブと名乗る一通のメール
が届いていた。どうせだれかのいたずらだろう。
「本人だったら電話して」
 気のないメールを返すと、午後になって電話をかけてきたのは、あのアップルの創
業者、スティーブ・ジョブス本人だった。

 園田弓恵さん(30)が、そんな体験をしたのは、シリコンバレーで転職活動をして
いた今年三月のことだ。当時はソニーの社員としてサンフランシスコに駐在してい
た。パソコンやインタラクティブテレビなどのインターフェース(画面)のデザイ
ナーである彼女は、本場シリコンバレーアメリカ企業で、どうしても自分のデザイ
ンした商品を作りたい、そんな思いから転職を決意したのだった。

 電話の翌日には、さっそくジョブス本人と面接。しかし、企画戦略グループのス
タッフにという申し出を断り、デザイナーとしての能力を高く買ってくれたいまの会
社、急成長中のインターネット事業のベンチャー企業エキサイト・アット・ホームに
入社した。が、このときの経験は、まさにアメリカという国を強烈に印象づけるもの
となった。

●収入でも言葉でも評価
 シリコンバレーには、「EX-APPLE(アップル出身者)」という言葉がある。さまざ
まな企業に散らばる彼らのネットワークで、優秀な人材の情報は瞬く間にこの地を駆
け巡る。園田さんの場合も、転職活動をはじめて三週間、数社を回った時点で、ジョ
ブス本人が接触をしてきた。

「高い能力があれば、女性だとか年齢だとか関係なく、リスペクトする。だからトッ
プが直に接触してくるんです」
 裏を返せば、日本ではなかなかそうはいかない。それが彼女がアメリカを働く場所
に選んだ、もうひとつの理由だった。

 ソニー時代、会社に寝袋を持ちこみ、泊まりこみで働いた。人の三倍は働き、いい
仕事をしていたという自負もある。しかし、新しいことを提言をしても、年功序列
いうシステム、大組織ゆえの意思決定の遅さに阻まれる。上司に、
「きみのプレゼンは素晴らしいけど、あんまり波風立てないで」
 とも言われた。このままではデザイナーとして一番脂が乗り切っている三十代、社
内のポリティカルゲームに神経をすり減らし終わってしまう、そんな焦りがあった。

アメリカではいい仕事をすれば、正当に評価してくれる。それは収入面だけでな
く、言葉でも。上司も『君がいたからこのプロジェクトができた。ありがとう』と何
度も言ってくれます。このままだと日本の優秀な若い人はどんどん海外に出ていって
しまいますよ」

●お祝いにもらった硬貨
 ニューヨークのマンハッタン。歩いているだけで、両側から迫る高層ビルに圧倒さ
れそうになる。

 シティバンクに勤める片岡桜子さん(39)のオフィスは、道行く人の頭上にそびえ
る高層ビルの中のガラス張りの個室だ。彼女のデスクには最近まで十セント硬貨が
貼ってあった。月ごとのセールスの成績で彼女がトップになったとき、直属の上司が
くれたものだ。
「おめでとう、これはその記念だよ。これを見て、これからも頑張ってと。たかが十
セントですけど、社員をやる気にさせる方法を彼らは知っているんです」

 日本に一時帰国した際には、直前にランチに誘われ、マネジャーへの昇進を伝えら
れた。だから、日本でお見合いを勧められても、結婚しないで戻ってきて、とも。忙
しくしていると、上司が「君の仕事には感謝している」「ストレスで倒れないでね」
と声をかけてくる。しかし、三年前の入社当時からそうだったわけではない。

 日本の企業や個人を担当する彼女は、まさに日米の商習慣の違いを日々実感するポ
ジションにいる。日本人の顧客は日本の銀行同様のサービスを求めてくる。たとえば
「住所変更をやってほしい」などと、アメリカ人の顧客なら当然自分でやるべきこと
も、営業サービスとして要求する。しかも、他にも男性社員はいるのに、すべて彼女
に頼んできた。

 トイレにも行けず、昼食も取れず、いつも一番遅くまで仕事をしているのに、それ
がすぐ営業成績に結びつくわけではない。
「上司は、私が何をやってるんだろう、と思ってましたよ。日本の習慣など説明して
も理解してくれないどころか、アメリカのやり方を顧客に納得してもらえない私が無
能なのだと」

●リポートで個室を確保
 このままではクビになる……。片岡さんを救ったのは、一通のリポートだった。自
分の入社後の地道なサービスの成果で長期的にはこれだけ数字が伸びている。休日を
つぶして渾身のリポートを書き、直属の上司だけでなく、さらにその上の上司にも提
出した。

 効果はてきめんだった。その結果、いまの個室を手に入れた。アメリカ企業で、い
かにタイミングよく自己主張をし、社内宣伝をすることが大事か。頑張っていれば、
誰かが見てくれているという発想は通用しない。評価されるものは数字のみ。そし
て、その数字をさらに効果的に見せる自己プレゼンテーション能力が必要なのだとい
うことを、身をもって学んだ。

 アメリカに三十万人以上いると言われる公認会計士の世界は、「数字信仰」が徹底
している業界のひとつだろう。勤務時間をどの顧客に何時間使ったか、毎日提出す
る。いわば個人の稼働率が日々はじき出され、評価される。その評価が低いと昇進も
できない。何年も同じポジションにいると、無能とみなされ、即レイオフだ。

 黒須真理さん(38)は、そんな世界で七年半働いて、この一月、大手会計事務所、
アーサー・アンダーセンを退職した。
 東大を卒業した八五年当時は、均等法施行前で、総合職という言葉もなかったた
め、資格の道を選び、会計士を目指した。日本の監査法人に入社し、研修生として九
一年、ニューヨークへ。任期が切れるときに転職した。

●地下鉄よくわからない
 やり甲斐はあった。男性の部下たちも資格や能力があれば、敬意を表してくれる。
アメリカではいま就職の面接時にも、年齢や人種、結婚の有無、身長や体重に至るま
で差別につながる質問項目は禁じられている。社内のマネジャー以上には差別意識
なくすトレーニングまで義務づけられており、表面的に女性だから、日本人だからと
いう偏見はなかった。

 しかし、つねに数字を上げようと顧客からの手数料の取り合いをせざるを得ない環
境には、どうしても馴染めなかった。逆に自分がマネジャーとして人を評価する立場
になったとき、これで人の人生が左右されるのかと思うと、つらかった。いまは将来
日本での独立を目指して準備中だ。

 撮影時に地下鉄に乗ろうとすると、実は地下鉄はよくわからない、土日も働きづめ
でほとんど遊んでいなかったから、と言った。
「少し立ち止まって自分の人生を考えることも許されなかった気がします。つねに前
に前に走りつづけていないと、ドロップアウトするアメリカで、一生働いていくの
は、とても大変なこと」

●日本でかなえられたら
 企業の駐在員として、働く女性も増えてきつつある。
 ニューヨークから電車で一時間ほどのコネチカット州で働く、高木実加さん(39)
は、アメリカの大手メーカー、ワーナー・ランバートの日本法人に勤めていた。本社
マーケティングの担当として抜擢されたのはこの五月。いまは夫(36)を置いて単
身赴任中だ。

 夫と離れることに不安はあった。けれども、一度本社でトップの人たちと仕事をし
たい、文化の違う人たちと、広い世界で仕事をしたいという気持ちが勝った。
 高木さんが抜擢された背景には、将来社内でキャリアアップを目指す人は、男女、
人種を問わずに登用し、海外転勤もさせて、違うカルチャーのなかで働く経験をさせ
ようとする社風もあった。

 だがそれはスタートラインに立ったことを意味するにすぎない。あとは自力で這い
上がらなければならない。幼いころと高校時代にアメリカ生活の経験のある高木さん
でさえ、最大のハンディは「言葉」だ。二時間のミーティングが終わるとぐったりし
て、日本語だったら、もっとたたみかけるように主張できるのに……と、歯がゆい思
いをしたことも何度となくある。

 さらに社会的にも社内的にも、女性やマイノリティーを積極的に登用していこうと
いう風潮は、時にはプレッシャーになることもある。こうした平等主義で結局、一番
割を食う白人の男性からの視線が気にならないかといえば、それは嘘になる。

「女性だから、日本人だから得をしていると思われないためにも、なぜ私がこのポジ
ションにいるのか、彼らにも納得してもらえるだけの仕事をしないと」

 誰に聞いても、こうした激烈な競争社会ゆえの厳しさやストレスを強調する。なか
にはヘッドハンティングされていることを上司に相談し、その人の説得で断った数カ
月後、当の上司がちゃっかりその会社に就職していた、という経験をした人もいた。
「自分を守れるのは自分だけ」。ジャングルと同じ原理で動いているのだ。

「それなのになぜアメリカで働くことを選んだのか」
 取材した女性たちに、必ず聞いた。その答えは、日本では得られなかったチャンス
や正当な評価が与えられるから。アメリカを選んだのは、それらと孤独やつらさを何
度も何度も秤にかけた結果だ。

 もし、日本でやり甲斐のある仕事が見つけられていれば日本に残っていたかもしれ
ない、と答えた人も少なくない。
 シリコンバレーでソフトウエア・エンジニアとして働く小村美和子さん(31)も、
そうした一人だ。大学卒業後、日本の外資系企業でシステムエンジニアとして働いた
が、四年前にMBA(経営学修士)の修得を目指して渡米。受験準備中に、いまのア
ドビシステムズに就職が決まった。

「いまの私には仕事がすべて。キャリアアップのために来たので、仕事で充実感が得
られないと、ここにいる意味もないのです。実はいまこのままアメリカで働き続ける
か、迷っているのです」

●いつも頭をよぎる不安
 小村さんのビザはあと半年で切れる。このままいまの会社にビザを延長してもらう
か。しかし、いまは以前の仕事の経験を生かせているとは言いがたく、違う企業で
キャリアを積みたいという気持ちもある。外国人を雇うとき、企業は莫大な労力と金
銭を負担して、ビザのスポンサーになっているから、企業を移るのは至難の業だ。う
まい具合にビザのスポンサーが現れなければ、転職もままならない。そういう不安を
抱え続けるよりは、いっそ帰国して仕事を探すべきか……。

 この話には後日談がある。原稿を書いていると、小村さんからこんなメールが来
た。
「取材のあと、思いきって上司に、以前のキャリアを生かせる仕事がしたいと言って
みました。かなうかどうかはわかりませんが、不満を吐き出せたことですっきりし
て、もう少しアメリカでやってみようという元気もわいてきました」

 小村さんの例もあるように、言葉のハンディと同時に、もっとも彼女たちを悩ませ
るのは、やはりビザの問題だ。ニューヨークの弁護士、加藤恵子さんはアメリカで働
く日本人のビザの問題を数多く手がけている。
「企業がビザのスポンサーをしていると、仕事を辞めることはアメリカでの滞在資格
を失うことを意味します。しかもこの国はレイオフや企業の合併などが盛んですか
ら、いつ自分の仕事がなくなるかわからない。つねにビザの心配を抱えてなくてはな
らないのです」

●三十五歳で再スタート
 自身も大学を卒業後、コロンビアの大学院で修士号を取得し、アメリカで一年働い
た後、いったん帰国、日本で五年間働いた。しかし、三十五歳で再びアメリカのロー
スクールに入りなおし、弁護士の資格を取った。何歳でもチャレンジでき、自身も
チャンスをもらったこの国で、少しでも他の日本人女性を応援できたら……。そうい
う思いから、来年には、アメリカで働く日本人女性のための法律セミナーも予定して
いる。

 先の片岡さんは、先日、同じ銀行の五十代の日本人女性の再婚パーティーに出席し
た。そのパーティーでの彼女のスピーチが、忘れられない。
「三十代で離婚をし、子供とアメリカにきました。アメリカはこんな私に仕事のチャ
ンスをくれただけでなく、残りの人生のパートナーまで与えてくれました」

●「自分の人生は自分で」
 片岡さんは、この言葉をふっとわが身に置き換えてみる。二十九歳で渡米するま
で、フリーのアナウンサーだった。学生時代から自分の番組を持ち、関西のキー局で
朝の番組のキャスターも務めた。が、この世界は若さが勝負。経験は評価されず、邪
魔にすらなる。三十を前に結婚への強い願望もあった。結婚前に海外で一度生活して
みたい、それがニューヨーク生活の始まりだった。

 語学学校に通った後、ニューヨーク大学大学院に進んだ。その後、グリーンカード
が当たったこともあり、何がしたいのかわからないまま、アルバイトをしながら数年
間を過ごした。

「日本では、自分が世の中から与えられた役割を一生懸命演じていました。優等生と
してそれなりの職業について、ある年齢までに結婚して、という。帰国しなかったの
も、いま帰ったら周りにどう思われるかを気にしていたから。でもいまは人がどう思
おうと、自分の人生は自分でつくるもので、アメリカでは、それが可能だと思う。お
手本のいない人生はしんどいけれど、それでこその楽しさもある、いまはそう感じて
います」