「不感症かも」症候群

心当たりがある人へ、

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今週のAERA
「不感症かも」症候群
なぜ思いつめてしまうのだろう

2001年1月29日号
一色清編集長おすすめの記事
|バックナンバー|

エッチな話と片づけないでください。事態はすごく深刻なんです。女性はもちろん男
性も「自分には関係ない」っていわないで下さい。私たちが直面する悩みの根っこ
は、あなたにも繋がっているのですから。


編集部 高橋淳子


 二十世紀末最大のイベント。アオイさん(38)にとって、それは「夫とのセック
ス」だった。「紅白」を二人で見ながら、
「今世紀も最後だし、ねえ」
 などと意味不明の言葉と視線を夫(44)に投げかけると彼も反応し、そういうこ
とにあいなった。八カ月のご無沙汰。どっかーんと来る……かと思いきや、ごそごそ
体をまさぐられてもぜんぜん気持ちよくならないのだ。

●「うきうき」のはずが
「私って『不感症』かも……」
 このところアオイさんの頭を離れない疑念である。

「子づくりはもういい」という合意に達した数年前から、夫は隣に寝るアオイさんに
めったに手を伸ばさなくなった。
 いつしかアオイさんは夜ごと襖ひとつ隔てた隣室でパソコンに向かい、ネット上で
知り合った男性(たぶん)に満たされぬ思いを書き送るようになった。むこうも濃厚
な文面を返してくる。「彼」を思い描いてマスターベーションをすることもある。燃
える。

 でも、たまに夫とすると、いまいち。生身の男性だと感じないようになってしまっ
たのか。そもそも夫とのセックスで「絶頂」に上り詰めたことってあったっけ。
「女性雑誌などに載っている体験談を読むと、もっともっと凄いのがあるような気が
する」
 バーチャル不倫の相手に実際に会ってみたい気もする。でも夫を裏切りたくない。
いろいろ思い巡らすと、気が狂いそうになる。

 アオイさんのような人は、珍しくないらしい。
「なんでみんな、セックスのことで思いつめちゃうんだろう」
「ラブピースクラブ」代表の北原みのりさん(30)はに落ちないという表情だっ
た。
 アメリカにあるようなポップでキュートな女性のためのセックスショップをイメー
ジし、お店を始めたのが三年前。当初の目論見ではセックスに積極的な女たちが、う
きうきいそいそとお買い物をする場になるはずだった。ところが蓋を開けてみると、
性の悩みを打ち明けに来る女性たちが大勢いた。予想外の展開だった。

「濡れない」「感じない」「痛い」といった類の悩みは「あんまり多いのでいちいち
覚えていられない」ほど。年代を問わず、こうした悩みを訴えてくるのは決まって既
婚者だという。そこに夫との「閉ざされた性」への悩みがあると北原さんには思えて
ならない。妻の不感症をたいていの夫は気にも留めず、妻一人が悶々とする。
「だれかに話を聞いてほしいと必死の思いで来る人が多い。専門のお医者さんってい
ないんでしょうか」

●見せるためのセックス
「不感症」をキーワードにインターネット検索をしてみた。ざくざくヒットする。ほ
とんどが広告だ。鍼灸マッサージ、婦人科、漢方薬やローション……。

 ある婦人科クリニックの広告は「不感症」の定義を「オーガズムを得られないこ
と」としていた。ではオーガズムとは。「自律訓練による自己改造 究極のオーガズ
ム」と銘打った通販広告は「女性が究極の喜びを知った時、全身痙攣を起こし、失神
しているため何もできません」とし、その痙攣の間隔は「〇・八秒」だと断言する。
えっ、そうだったの?

 情報の海に溺れ、だんだん自分も不感症ではないかという気がしてくる。混乱した
アタマを抱えつつ検索を続けるうち、不思議な人を見つけた。
「医師、四十歳」を自称する男性。ホームページ上で「イカない」「感じない」女性
たちの悩みに懇切丁寧に答えている。「実技講習」の希望にも応じており、その「成
果」も併せて発表している。この人って女の敵?

「僕は女性の味方ですよ」
 待ち合わせ場所に現れた彼、X氏はいった。X氏によれば彼に相談をもちかけてく
る女性たちは「不感症かもしれないシンドローム」で、男性がちゃんと手順を踏めば
感じることができる人ばかり。しかし今の男性の多くはAVなどの「見せるための
セックス」しか知らないから、女性をイカせることができない。女性の側にも問題が
ある。どれだけ実社会で男女平等化が進んでも、夫や彼とのセックスになると卑屈に
なってしまって「それはやめて」とか「こうして」とかいえないのだ。

 女性対象の掲示板は、自然発生的に生まれたという。当初は趣味の風俗体験などを
紹介した男性向けの「快感情報」だった。が、ドクターと名乗っているせいか、女性
からの相談が後を絶たない。ほとんどが「イケない」「感じない」といったものだ。
そこで専用の掲示板を設けたところ、書き込みが殺到し一時はパンクしてしまった。
悩める女性の何と多いことか。

●罪悪感より「結果出す」
 実際に会ったのは十三人。夫とのセックスを何とかしたいという人妻が多い。罪悪
感などとっくに通り越し「ここまできたんだから結果を出して帰りたい」と、もう
せっぱ詰まっている。約束を取りやめたり延期したり、さんざんためらった末に「講
義実習」に臨む人がほとんどなのだ。

「実技」の時間は相手をイカせることに集中するため、自分はちっとも気持ちよくな
いのだそうだ。「人助け、ですね。人助けが独り歩きして、ホームページのなかの自
分がどんどん『奇特な人』になっていく」

 こんな人が現れるのも、現代女性のセックスがいかに歪んでいるかの証拠じゃない
だろうか。

 バイアグラの発売をきっかけに、勃起不全など男性の性機能障害は病気として認知
されるようになった。なのに女性の性機能障害は、あまり表面化しない。女性が我慢
すればセックスできてしまう場合が多いからだろう。

 しかし、セックスに悩む女性は男性以上に多いらしい。一九九四年に発表された米
国人の性意識と性行動調査でも、その傾向はうかがえる。過去一年に生じた性的問題
として「セックスに関心がなくなった」「セックスで快感を得られない」は男性の二
倍、その他「オーガズムに達することができない」「セックスの最中に苦痛を覚え
る」「なかなか濡れない」等々。第一のパートナーとのセックスで「必ずオーガズム
に達する」と答えた人の割合も、男性の七五%に対し女性は二九%。

 女性の性機能不全には性欲がわかない「性欲障害」、膣痙によってペニスを受け入
れられない「ワギニスムス」、十分に感じられなかったり濡れなかったりする「興奮
障害」(俗にいう不感症)、オーガズムに至ることのできない「オーガズム障害」な
どがある。炎症や腫瘍、加齢による膣の収縮などで起こる性交痛もあるが、多くは心
的要因が強いらしい。

 精神医学的見地に立てば、こうした「障害」があっても本人が問題と感じず、パー
トナーとの関係が損なわれなければ「障害」ではないという。要するに気にしなきゃ
いいのだが……。

●女性に内在する「縛り」
 国立千葉病院産婦人科の大川玲子医師はセックスカウンセリングを通じ、氾濫する
性情報と旧来の社会的呪縛のはざまで苦しむ女性たちを数多くみてきた。セックスが
人生の裏面のように扱われれば扱われるほどなにやら華麗で刺激的なものに思われ、
抑圧的に育てられた人たちの悩みは深まる。治療の際はセックスを「練習」といいか
えているのだが、
「練習しましょ」
 とさえ夫にいえない女性もいるのだ。こうした人たちに見える問題は社会の矛盾で
もあると大川さんは考えている。

 例えばワギニスムスには「初めてのセックスは苦痛にみちた儀式。でないと処女だ
と思ってもらえない」といった女性に内在する「縛り」によって起きる。男性の勃起
不全も「男は常に力強くリードしなければならない」といったプレッシャーによる部
分が大。彼女彼らと同じ文化の中で生活している現代人は、だれもがそうなる可能性
を秘めているわけだ。

 相手を尊重しつつ自己主張するためのコミュニケーション訓練法「アサーティブト
レーニング」のトレーナー森田汐生さんは、女性を対象にした「セクシャリティー」
のワークショップを何度か開いてきた。性愛に限ってのセックスではなく、自分の身
体イメージや幼児期の記憶等から始まってマスターベーションに至るまで、自分の
「生き方」そのものを見つめ直すようなプログラムを実践する。

 このワークショップを始めるにあたり、メディアなどにあふれる女性のセックスの
イメージを検証したところ、その内容はあまりにも貧困で画一的であることが分かっ
た。男性誌に出てくる女性はみな童顔でおっぱいだけは大きくレイプまがいのセック
スでも感じてしまい、女性誌に出てくる女性はみなガリガリ。この枠から外れぬよう
セックスする限り、豊かな性なんて楽しめるはずがない。

「自分がどういう生き方をしたいか。性はその表現の一つなのです」
 参加者はみな後込みしそうな気持ちを奮い立たせ、勇気を振り絞ってやってくる。
それがいったん緊張がほぐれて話し出すと、堰を切ったようにとまらなくなる。語る
ことは山ほどある。そこで女たちは十人いれば十のセックスがあることを知る。そし
て気づく。
「ほかの人と比べて私は感じないんじゃないか」
 なんて悩みは意味がないことを。